Karl von Burgund・まえがき

この悲劇の構成は、アイスキュロスの劇構成および考案から着想を得たものである。
よく聞き及ぶ事柄としてアイスキュロスの誇張癖というものは重い責任を負うものであるとされ、
そのため人々は彼の劇についてより深く知ろうと思わないという嘆かわしい傾向がみられる。

著者は『クセルクセス王とシャルル突進公の両者における気性・思考を描き出したいと思ったのだ』
とアイスキュロスの悲劇における類似点についてコメントしている。

この劇を読んだ人なら著者が史実と異なる点など極力少なくしていることがわかるだろう。
また著者はペルシア人とブルゴーニュ人のしきたりを混同することなく差異をつけた。*)

アイスキュロスはアテネ人の名誉と精神を強調し、ギリシア人が自由の気風を心にいだく
そのような国家に住まっているのだということを劇に内包させている。
我々の詩人はこの新しいドラマによって、まさしくスイス人の先祖たちがブルゴーニュの
「クセルクセス王」を追い出したことについて人々に感銘を与えることを願っている。

ギリシアのものの考え方になじみが薄く、状況や推移、また構想についても全く同じような感覚で
受け取ることに頭を悩ますかもしれないが、ギリシアから伝えられた自然な感情の発露と現代とは
異なる美のすがたをギリシア趣味を介することなく見出せるだろう。

*)著者はサンフォワ氏が「フィリップ善良公の人物描写がおかしい」ことについて責任を負うべき
 ではないか、と意見したことを知っており、また同氏が「ブルゴーニュ公ジャンに『無畏公』という
 綽名はつけられていない」と言っていたことについても承知している。
 しかしながらこの悲劇はブルゴーニュの史家の記述に基づいたものであると証明されている。