2009年10月のインタビュー記事抜粋

~以下の記事は公式サイトの2009年10月のインタビュー記事から適当に意訳しました~


※ニューアルバムはどんな感じ?※

ニューアルバムのレコーディングは8~9曲が終わったところ。
ラス・バラードに作ってもらった曲もあって、11分くらいある長い曲だよ。
Queen的なメロディーでフレディ・マーキュリーがやりそうな感じかな。
かなり長くてパートごとに違ったふうにしてあるから、色々な受け取り方をできるメロディだね。
だからいつものラス・バラードの曲ではないよ。 色々と違ったスタイルを織り交ぜて素晴らしい曲を作ってくれたんだ。
電話で話したときに『80年代のようなスタイルにはしないで…2013年スタイルでお願い』 って言ったんだ。
それから3~4回連絡を取ったよ。
CDでは調整をかけるけど、ライヴでも多分映える曲だと思うよ、きっと皆にも楽しんでもらえると思う。


※マーブルス結成以前は何をしてたの?ロック・シンガーになろうと思ったのはいつ?※

いや、実のところはそうは思ってなかったね。
歌いはじめたのは7歳のころからだよ。教会のホールとか、カブスカウトにいたころは学校でコンサートをしたり…大体そんな感じだね。
ギターをやり始めたのは11歳のころだった。アマチュアのコンサートに行ったりしてね。
そうして18歳のときに、ビージーズと知り合いだった従兄弟のトレヴァーとロンドンへ引っ越すことになったんだ。
彼がイングランドに来てからは、故郷のリンカーンシャー州のスケッグネスでバンドを組んでたよ。

ロンドンに引っ越してきて、ビージーズのマネージャーをやっていた人がバンド演奏を見に来ていたらしくて、
トレヴァーに『私を覚えているかね?』と言って、バリー・ギブが話をしたいと言っていると伝えてきた。
それでバリー・ギブの曲をくれて、トレヴァーは彼に会いに行ってから僕を紹介したわけさ。
それから僕らはモーリスとバリーとロビンと一緒にジャム・セッションをして歌ったり…
そう、確かスティーヴィー・ワンダーの曲とかをね!スティーヴィー・ワンダーやビーチボーイズ、それから色々やったよ。

で、ビージーズのマネージャーをしていたロバート・スティッグウッドが言ったんだ。
『じゃあ明日にでもレコードを作ろうか!』ってね。実際のキャリアを積みはじめたのはそこからだね。確か19歳のときだよ。


※レインボーに参加するにあたって、いったいどういうやりとりがあったのか※

Down to Earthのアルバム製作でスイスにいたときに、コージー・パウエルがゲームをやったからだよ。
ある夜に『この曲わかる?』とか『イントロ当てクイズ』的なゲームをして、それで僕がやった曲の『Only One Woman』がかかったんだって。
コージーが『誰なんだろうね?』と言ったら、リッチーも『ああ…一体誰なのかなぁ?』と。
それで僕がオーディションに誘われて、『Mistreated』を歌って採用されたんだ。
僕はそのころショートヘアにしてたし、派手な服もスパンテックスのズボンとかも着てなかったから、場違いなんじゃないかと思ったんだけど。
まぁともかくこんな顛末があったんだ。


※ロニーがいたころよりも、もっとコマーシャルにいこうという計画だったそうだけど…※

ブルース・ペインのアイディアで、バンドをもっとチャート入りさせたかったそうだよ。
つまりもっとコマーシャルにいきたいということだったらしい。
でも思い出すかぎりでは誰も『Since You Been Gone』をやりたがらなかったし、アルバムの中でも一番嫌われてた曲だったよ。
でもブルースはCloutというバンドをヒットさせてたし、ラス・バラードが自分で歌ってそれなりにヒットさせていたから勧めてきたんだ。
でもポップすぎたから少しハードにしようと、できる限りそういうふうに歌おうとしたよ。
そうしてその曲は世界じゅうで成功を収めたわけさ。


※インペリテリver.のSince You Been Goneについて※

ああ、どうしてだったかわかんないけどそうなったんだよ(笑)
『またSince You Been Goneをやろうか』と言ったら、『嫌だな!』と。
『なんで?』と聞いたら『「また」じゃなくてもう一度めいっぱいやろうよ!』ってね。


※MORの思い出※

コージーの最後のライヴで、僕にとってもそうなるだろうと考えていたよ。
新しいドラマーが来ることを皆承知していたけど、コージーは僕の親友だ。
ドン・エイリーもコージーが脱退する夜に、僕と一緒に脱退しようかと考えてた。
ともかく僕が抜けてドンは残ったわけだけど、コージーはホワイトスネイクや色々なバンドを渡り歩いたんだ。
とにかくとても悲しかったけれど得がたい経験をした時でもあったな。

人が多すぎて外に出られなくって、渋滞がひどかったんだ。その日の夜はホテルに戻れなかったね。
着いたのは朝の6時ごろさ。20分の道のりでそう遠くないところだったのに。
あと忘れられないのは、家族がライヴを見に来てくれたことだよ。
母さんに父さん、それから…家族皆でね。家族はとても満足してくれたし、
僕も自分の仕事ぶりを見せることができて誇らしかったよ。


※MORで演奏したWill You Still Love Me Tomorrow※

キャロル・キングの『Will You Still…』をレインボーのライヴで演奏したのは僕のソロアルバムに
入っていた曲をリッチーが気に入っていたから。2回くらい演奏もしたなぁ。
ドニントンで『何を演奏すんの?』と聞いたら演奏が始まって、『あ、よく知ってる曲だ!』
つまりそれほどリッチーはこの曲が気に入っていたというわけ!


※『Down To Earth』で重要だと思った曲はなに?お気に入りはある?※

『All Night Long』かな…自分でメロディを作ったからね。まぁクレジットはされなかったけど。
あとメロディを考えた曲は…『Love's No Friend』も少し関わったかな。
アルバムにはクレジットされてないけどね。みんなロジャー・グローヴァーとリッチー・ブラックモア、
コージー・パウエルの名義になってるよ。あとは…『Lost In Hollywood』も僕のアイディアだよ。
でも僕は新入りでロイヤリティに関してはさっぱりだったからねぇ…まぁ、それはともかく…あぁ、『Eyes Of The World』も気に入ってるなぁ。


※マイケル・シェンカー・グループで『Assault Attack』を製作したころの思い出は?※

ぶっちゃけ、超呑んだくれてたね。マイケルと僕で毎日朝から夜まで酒を飲み交わしてたかな。すごくダメな体験談だと思うよ。
でもここで初めて自分で歌詞とメロディを組み立てることになったんだ。
マイケルは英語を書かないし、ヴォーカルラインについては全くノータッチだから。
自分自身でなにかを組み立てるというのは初めてのことだったし、やらなくちゃならなかった。
レインボーにいたころは何もわかんなくてロジャー・グローヴァーに頼りきりだったし、曲を書いて
もらうことが多かったからものすごくビビっちゃってさ。
つらかったけどともかく全部自分で考えたし、うまくいったと思う。
マイケルも満足いく仕上がりだった。とてもいい経験だったよ。


※リッチー・ブラックモアとマイケル・シェンカーは一緒にやるには気難しいと評判だけど…※

いや、リッチーはすべてにおいてそうというわけじゃないさ。すごくいいやつだし。僕は彼とすごくうまくやれてたと思うよ。
そう、僕の父さんがね、リッチーの親友だったんだ。よく一緒にぶらつきに行ってたな。
ツアーでロンドンに行ったときに、リッチーと一緒に父さんに会いに行ったんだ。リッチーは父さんとぶらつきに出て、
バーとかで話し込んだりしてたんだって。
あとリッチーはね、すごくシャイだから友達を選んでしまうんだよ。
友達のグループを大きくするのは嫌らしいし、たまに人を困らせることはあるけど。ただすごくシャイなんだよ。『嫌なやつ』じゃなくてシャイなの。


※アルカトラス結成の経緯※

第2のレインボーを目指してたんだ。だから同じようなキーボード、ギター、ベースを集めたの。
誰かリッチーに似たプレイのできるギタリストはいないかと、長いこと探したんだ。 色んなギタリストを当たったよ。
ポール・マッカートニーのところでギタリストをしていたWingsのローレンス・ジューバーも当たってみたけど、音が軽くて甘すぎたんだ。
それでたくさん…思いだせないくらいたくさんのギタリストを探したなぁ。

そのとき18歳だったイングヴェイを見つけて、彼のギタープレイを見た人が「こいつはどうかな、リハーサルに来させてみるかい?」と。
何もかもリッチーそっくりだったよ、全身黒で固めて、白いブーツなんてはいてたな。
リッチーの大ファンだった彼はこうしてメンバーになったんだ。というのも僕はレインボーみたいなバンドを作りたかったからね。


※スティーヴ・ヴァイについて※

スティーヴはフランク・ザッパ・バンド出身なんだ。
ドラマーのヤン・ウヴェナがフランク・ザッパの知り合いで、スティーヴがいままでと違うことを やりたがってると聞いてね。
イングヴェイみたいなスタイルのギターソロをやってみようとしてたんだ。

イングヴェイみたいに出来ないとナーヴァスになっていた彼に、
『きみはイングヴェイじゃない、スティーヴ・ヴァイなんだ。だから違うやり方でやればいい。
イングヴェイはリッチーになろうとしてるけど、それは絶対にできないよ。みんな一人一人違う人間なんだからね』と言ったよ。
初ライヴの前のスティーヴはとてもとてもナーヴァスになってたけど、終わったらみんなが『スティーヴ!スティーヴ!』と歓声をあげてたね。

スティーヴはすごく発明に富んでいて、だから僕は彼の作る音楽が好きなんだ。幾通りものコード進行を蓄えていて、
僕らが知っているような明らかなヘヴィ・メタルのコードを使わない。彼はいつもどこかへカッコよさを探し求めるんだよ。