~以下の記事は公式サイトの11月下旬のインタビューから意訳しました~
11月下旬から12月上旬にかけて、グラハム・ボネットはアルカトラス名義でヨーロッパの国々をめぐる短いツアーを行いました。
たった6日間ではありますが、ドイツでは11月25日にゲルメリンク、26日にはエッセンで、オランダでは11月27日にケルクラーデで。
それから4日ほどおいて、終盤の3つのショーを行いました。オーストリアでは12月2日にグラーツ、12月3日にヴィーンで。
ツアー最後のコンサートは12月4日、チェコのプラハでした。
ギリシャでいくらか取材を試みましたがうまくいかず、スカンディナヴィアでのショー開催時にも同じようなことになったので、
私たちはグラハムとケルクラーデ(マーストリヒト市内)のパルクスタッドにあるRTVスタジオでインタビューを行うことになりました。
グラハムはパルクスタッド・ラジオのローカル放送での短いインタビューと、オランダの有名なメタル系マガジンの
『アールドショック』のインタビューも受けました。
そうして私たちは30分ほど会話をし、79年から80年にかけて彼がレインボーのシンガーであった頃の話になったのです。
私たちはグラハムがどう思うかというような質問でインタビューを始めたのですが、彼はなごやかな雰囲気で答えてくれました。
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…知ってるとは思うけど、僕はもうお酒はやめてる。だから昨夜はしばらくぶらついてたんだ。
ものすごく早く目が醒めちゃったからとても疲れててね。
これからサウンドチェックしなくちゃいけないんだけど、気が進まないよ。
僕はどっちかというとホテルに戻って寝転がってCNNでも見て、まぁいいや、これ以上は黙っとこう。
※CNNを見てると簡単に眠れるものですかね?※
…うん、退屈だからね。CNNかラリー・キングでも見ていれば楽になれるよ。
ぶっちゃけた話、これが僕のわかる唯一の番組かな…だってドイツ語はわかんないし。
シンプソンズをドイツ語で観るとわけがわからなくなるけど、でもおもしろいよ。
※自分でストーリーを組み立てて歌なんかも作れますよね。※
…かもね(笑)。僕はよく、どんなあらすじか知ってるものを外国語版で見たりするんだ!
バンドのメンバーをここに連れてきて君たちに紹介したかったんだけど、僕ひとりのインタビューになっちゃったね。
ともかくなにか知りたいことがあれば…
※ファンの方々から送られてきた質問もあるのですが、時間が限られているので、
あなたがもう何百万回と答えてきたような質問は避けますね。
自分自身のことを答えるみたいにわかりきっているわけですから。※
…あぁ、全然構わないよ。じゃああんまり深く考えなくて済むわけだね(笑)
※このツアーの最後の二日間、オープニングはどんな感じでしたか?※
…よかったよ、昨夜はどれだけ人が来たのかはわかんないけど…たぶん今日も同じくらい来るかな、
確か200人くらいはいたと思うんだけどね…ともかくすごくいい感じだったな。観客は素晴らしかったよ。
でも20万人の観客を前にしたこともあったのに200人の前でショーをするっていうのも妙な気分かな。
ほら、なんか変っていうかさ…、はっきり言おうか。
君たちはここ数年状況がよくなってるって思っているだろうけど、僕としてはなんだか過去に戻ったような気がするんだよ。
クラブで演ってた14歳のころみたいにね。昨夜、僕は「12歳のころにこういうところでダンス・バンドと一緒にギターを弾いて、
フランク・シナトラの曲を演ったりしたんだ」と言ったんだ。そしたらがっかりさせちゃったのかな、何人かが会場を出て行ったよ。
これは僕だけじゃなくて、僕と同い年の同じ時代を経験してきた友達の大半がわかってることだね。
80年代のヘヴィ・メタルやハードロック、それからいろいろと名付けられているものがもうファッショナブルなことじゃなくなってるし。
みんな音楽と一緒に育ってきているけど、年をとってくるとCDを買いに行こうとはしなくなる。
CDを買うのは若い人で、親は買わないんだ。それで、ロックンロールがいきなりハードロックに変わり、親の聞いている
音楽がすごく妙なものに思えてくる。ロックンロールが古びないとみんなが思ってた時代からは予想できないよね。
※そうですね!※
…ショーで気になったことがあって、家族で見に来てる観客がいたんだ。
10歳くらいの子供から、100歳くらいの人とかね。それと20歳くらいの子もバックステージに来たっけ。
そういう人たちともとても仲良くできたよ。僕と同じような、そう、僕と彼らの間に違いなんてないんだよね。
20歳だろうと30歳だろうと、音楽を通して若者らしい話ができるのはいいことだね。
音楽ってみんなを若々しくしてくれるっていうのはわかるだろ。
とくにバンドの若い人なんかとの付き合いなんか、
(面白く声をまねてみせる)
“調子はどうだい?どういうふうに仕上げたの?この曲はどこからインスピレーションが湧いたの?”
こういうのってすごく若々しい気持ちにしてくれるものなんだ。
僕は年をとっていってると思ったことなんてないよ…見た目は老けて見えるかもしれないけどね(笑)
僕は精神的にも身体的にも年老いてはないな。
まぁ、顔には出ているかもしれないけど、とても健康的だと考えてるよ。
僕は僕自身で生活していってるしね。
ともかく少ない観客の前で歌うのは妙な気分だけど、きみがもし他のところに行かなくちゃならないって言うのなら
(変な顔をしてみせる)
きっとみんなはきみがインタビューの要領を得られなかったんだって言うかもね。
僕自身がどれほど疲れ切ってるかっていうことが、たまにがっくり来るんだ。
今夜も調子よく声が出てくれるといいんだけど。近頃はいい感じだったし。
※そういえば、近頃あなたに付き合っている女性がいると伺ったのですが。※
…えぇ?僕がいったい幾つだと思ってるの!冗談がきついよ。
鏡を覗きこんだら、もう自分自身の姿だと思えないんだ。父親が映ってるように見えるんだよ。
そうそう、だから『ホーリー・クラップ』(結婚相手の仲介所)っていうところに行ったんだ。
父親も生きていたら92歳だし(笑)僕のことをとても心配してたからね。
※あなたの父親もシンガーだったんですか?※
…ううん、母親は少しだけ歌ってたけどね。父親は歌がうまくなかったんだ。
曲を作ることもしなかったけど…でも音楽は好きだったよ。
ホワイトスネイクとクリームがお気に入りだったなぁ。クリームは特にね。
80年代のころは、レインボーも勿論気に入ってたんだ…
※あなたのことを誇りに思っていらっしゃったと思いますが?※
…うん、そうだよ!父親はショーにどれだけの手間がかかるのかを知らなかったし、
ヘヴィロックのファンじゃなかったけど、キャッスル・ドニントンで僕が歌ったコンサートに来てくれたんだ。
コージー・パウエルの最後のショーだったよ。
感極まって叫んでたんだ。母親も泣いてたし、兄さんもそこにいた。みんないたんだよ。
「ロックのショーにはこんなにエネルギーが注がれているんだね」って言ってた。
父親はそれまでクリフ・リチャードとかを観てきてたから、だいたいのところは察せるよね。
ラジオの音楽をよく聴いていて、僕と同じように…僕はヘヴィロックは全然聴かないんだ。
R&Bの、アル・グリーンやオーティス・レディングだとかを聴いてきたよ。
僕はほんとはこういう音楽がやりたくって…あとでヘヴィロックをやることになったけれど。
ともかく、母親も歌える人だったし、兄さんも多少歌をやってたんだ。
※でもあなたのようには…※
…兄さんはとても穏やかな歌声だったよ。母親はカントリーシンガーのパッツィ・クラインみたいだった。
なんの映画だったっけ、確かSweet dreamsっていうので、ウィリー・ネルソンが曲を作ってるんだ。
その彼女(クライン)の歌声によく似ていて、むせび泣くような歌声だったよ。本当にカントリーな感じ。
母親はうまくって、兄さんは物静かなシンガーだったんだ。
僕はうるさすぎるみたいで、よく「黙ってろ」って言われてたなぁ。
※あなたのレインボー加入時の最初の印象はどうでしたか。いきなりメジャーなバンドで活動することになって、
Blue Oyster Cultのサポートで大きなホールを使うことになったのですから、この初めてのショーはさぞかし
よい経験になったのではありませんか?あなたにとってはとても目新しい経験だったと思うのですが。※
…んー、どうなることやらと思ってたよ。シュールすぎてね。
楽屋での最初の日は、こんな感じで座っていて、コージーもいて、それで僕はこう言ったんだ。
「すごく不安だなぁ。もし観客が僕のことを気に入らなかったりしたら、どうすればいいんだろう。
ショートヘアだし、こんな(メタル系のしぐさを面白くまねてみせる)ことするのは嫌だよ」
デヴィル・サインとかスネイルとかそういうのはね。
そうしたらコージーが「心配しなくてもうまくいくよ」って言ったんだ。
ともかく僕はショーに出たけど、もちろん不安でしかたなくて、自分がヤジられるんじゃないかって思ってた。
前の席にいる子たちが『ロニーがいい!』ってわめいてたんだ。きっと、このショート野郎は誰だよって思ってたんだろうな。
それで僕が最初の歌を始めると、彼らの表情が突然変わったんだ。
みんなが微笑んでくれて、「よかった、僕はここにいていいんだ」と思ったよ。
彼らを見下ろして「オーケー?」と言ったら、「イエー!」って叫んでた。
よくは見えなかったんだけど、すごくびっくりする出来事だったな。
※きっと圧倒されたんですよ。1980年のロッテルダムのライヴのようにね。※
…あのときは髪型は変えなかったけど、ブロンドにしてたかな。マリリン・モンローみたいなふうにしてたんだっけ。
そう、ある夜にどこぞの男がすっかり酔っぱらって「ゴォ~オゥ、アウェ~エイ」とか叫んでたんだ。
どこでだったっけなぁ…この地球上のどこかだっていうのは覚えてるんだけど(笑)
それで僕らのほうを指さして、リッチーと僕にとっとと出てけってなじるんだよ。それでリッチーが僕のほうを見て…
何を言ったかはまぁ置いとこう…リッチーは君たちもよく知ってるようなジェスチャーをしたんだ。
あの男は二十歳くらいに見えたよ。
それからリッチーはDコードを押さえて演奏を始めたんだ、君たちも知ってる「Will You Still Love Me Tomorrow」をね。
でね、僕はステージの前のほうに行ってその男の前にしゃがみこんで、彼に近寄って「Tonight you're mine completely…」と歌ったのさ。
それで彼は口をぽかんとして、それからにっこりして、笑ったんだ。握手してからハグしてきたよ。
それからロックっぽくスクリームしたら、大歓声が沸き起こった。
アホをやってる子をジョークでいなすっていうのは面白いだろ?時間が短いなら、僕らは楽しまないとね。
みんなが怒って喧嘩することなんてやめさせなくちゃ。
※あなたがレインボーに加入する前に「Will You Still Love Me Tomorrow」をレコードにしていたものですから、
てっきりライヴで演奏することにしたのはあなたのアイディアだと思っていました。※
…いや、それが違うんだな(笑)
※リッチーもあなたの歌を以前から聴いていたんでしょう、気に入ってらっしゃったようですし。※
…うん、僕のソロアルバムの中でもリッチーお気に入りの曲だったんだよ。
あのころはよく演奏してくれてたな。最初は僕がニューヨークのロングアイランドにある彼の家に行ったときで、
セラーを降りたところにある彼のバーの階段を上がったところに、僕とロジャー・グローヴァーとでいたんだ。
リッチーはチェロでいろいろと遊んでいて、それでそのメロディを聴いたんだ。ロジャーが「これ、君の曲だろ?」って言ってさ。
それで僕は「あぁ、そうだね。誰が演奏してるんだい」と聞くと、「リッチーだよ」とロジャーが返したんだ。
だから、「僕のアルバムをリッチーが演奏してるの?」と聞き返してさ。
ロジャーは「リッチーが気に入ってるんだよ!この曲が特に好きで、演奏してみたいようなんだ」と穏やかに言ったよ。
それで2回ほど一緒に演奏もしたんだ。「Will You Still Love Me Tomorrow」はリッチーのアイディアさ。気に入ってたからね(笑)
※アメリカツアーの最中にショーがいくつかキャンセルされましたね。
バンドのメンバーが病気だっただとか、交通事故に遭ったらしいと伺っていますが、覚えていますか?※
…いつだっけ?…ショーがキャンセルって…
※終わりがけのころに、Blue Oyster Cultのほうからキャンセルの知らせがありました。※
…知らないなぁ、覚えがないよ。多分僕たちがショーをやりたくないんだという話を捏造されたんじゃないの。
僕にはそう聞こえるなぁ。
だって、僕たちはよっぽどの事故が、人が殺されたとかでもなければキャンセルしないよ(笑)
あのとき何があったのか考えてみると…Blue Oyster Cultとリッチーはうまくいってなかったかな。
思い出すかぎりでは、リッチーは彼らと演奏するだなんてもう二度とやるもんかと考えてたよ。
彼らは何かをやろうとすると臆病にすぎたからさ。でも僕は本当のところは知らないから、ひょっとしたら間違ってるかも。
※誰かが病気になったんだと触れまわって責任転嫁するのは簡単ですからね。※
…うん、マネジメント側がそういう話を作ったんだろう。僕は何事もなかったしね。
僕たちはショーをする時間は作れたし、そんな話は全く聞かなかったよ。
※レインボーのころ、あなたは2つのショーをオランダで行ってるんですよ。ロッテルダムとここ、ケルクラーデで。
ロッテルダムでは2年半ほど前にショーを行いましたね。ショーに関して覚えていることはあります?※
…どっちの?
※グレン・ヒューズ、ジョン・アンダーソン、ジョン・ウェイトと一緒にやったときのショーです。※
…ああ、1曲しかやらなかった時のやつかな。
※いえ、確か3曲ありましたよ。※
…そっか、時差ボケしてた時のだね…とにかく家に帰りたくて。
あの時はどうやって歌を始めるか考えてて…えっと、それから…みんな疲れきってたんだよね。
みんな「どうしよう、どんなふうに始めたらいいんだろう」って感じでさ。
みんなでしかめっ面をして、疲れ果てていて、「どうライヴを済ませたらいいかな」ってね。
なんとか切り抜けて、次の日の朝にはみんなで「やっと終わった!」っていう気分だったよ。
「具合はどう?」(眠そうにして)「ああ、大丈夫…元気ではないけど…大丈夫だよ」って(笑)
疲労困憊でともかくヘトヘトだったんだ。
※ショーは一度だけで、このためにアメリカから飛行機を使ったんでしたよね。※
…そうそう、アホみたいだろ。
※今のがあなたの本音でなければいいんですが。どうもいい気分がしませんよ。※
…またここでライヴをできて、君に会えてうれしいよ。えっと…いいや、続けて。どんな話題でもいいよ。
※レインボーでも1980年にケルクラーデでライヴをしていましたね。
また戻っていらっしゃったわけですが、この偶然に関してはどう思われますか。※
…でも…いろいろな所に行ってきたから、あんまりそういうことに関しては気にしてないかなぁ…
僕がショーをしに行く時にはどこでも、誰か聴いてくれる人がいるから。
ここに戻ってこられたのは勿論喜ばしいけれど、特別な日ではないんだ。流行り廃りみたいな感じでさ。
ショーをやったのは誰だったか、なんてぼんやりとしか思い出せないものだろ。
バンドのメンバーも言ってるんだけど、シンガーは体調を整えるために1週間ほど早く来なくてはいけないしね。
もし体調が良くなかったら、歌えなくなるもの。
でもここに来れるのはいつだって嬉しいね。60年代ここに来たことがあって、1968年だったかな。
従弟のトレヴァーと来たんだ。マーブルスとしてね。よく訪ねたものだよ、あの頃はイギリスに住んでいたから
ここもそう遠い場所ではなくってさ。週末とかに来てたよ。
※テレビショーのためですか?※
…ああ、たいていは口パクだったから、ライヴはやってないはず。
※1980年のケルクラーデでのショーはアンコールがありませんでしたね。
2日後に私たちが聞き及んだ話では、次のショーでロジャー・グローヴァーがステージで倒れたとか。※
(黙りこんだグラハム、かなり考え込んでいる様子)
※ケルクラーデの2日後ですので、ドイツでのショーのはずです。
この時のショーはロジャーが病気になってしまってキャンセルされたとのこと。
あなたの表情を伺いますと、どうも思い出せてはいないようですね…※
…ロジャーはベースを故障させてしまっていたけど、病気で倒れたということはなかったよ。
彼はベースをドン・エイリーのキーボードにぶつけてしまったんだ。
ハモンド・オルガンの上にね。ベースを演奏している最中に、何かにこけて…それでネックを壊したんだ。
彼がステージで倒れたという覚えはないけどなぁ。
※別のファンから聴いたんですよ。
それでどうしてレインボーはケルクラーデでアンコールをしなかったかという話になって、
おそらくあの公演のときに病気になっていたんだとばかり…※
…そりゃ知らなかった。初めて聞いたよ。あの頃は酒びたりだったけど(笑)そんな話は聞いたことがないな。
そうそう、もう7年半ほど禁酒してるんだ、なかなか続いてるだろ。昔よりかなりよくなったと思うよ。
でもとにかく、そういう話は全然記憶にないよ。だって、メンバーの中で誰も病気になった人はいなかったから。
たとえ病気になったとしてもショーは続けていただろうし。
コージーが一度だけかなり具合が悪かったことがあって、ドラムの後ろにあったバケツに戻してたっけ。
あれは面白い光景だったなぁ(笑)
だから誰かが病気でもショーは続けてたんだ。僕だって風邪を引いても続けてたし。
それに君のようなインタビュアーを頼りにする人もいるから、倒れてなんかいられないよ。君もがんばってね!
※しかし、ひと月のうちでほとんど毎日出ずっぱりの長いツアーでしたよね。※
…うん、5か月か6カ月くらいのツアーで、すごく長いツアーだった。今みたいじゃなく…時代は変わったものだね。
※今の音楽業界の変貌に関してはどう思いますか。※
…レコードだったころと基本的には変わってないかな。それでもネットやダウンロードの普及で変化した
こともあって、誰でも盗みを働けるようになってるけどね。たくさんのミュージシャンの音楽が盗まれてるんだ。
僕もだし、ロニー・ジェイムス・ディオだってね。あそこにビジネスなんて概念はないよ。
コンピューターの向こうからなら自分はマネージャーだ、エージェントだと何とでも言えるからね。
貴方のアルバムを発表したいんですが、どんなジャケットがお好みですか?なんてことはビジネスマンがリビングで
行うことみたいにさんざん言われてる。全く下らないね、こっちは盗まれてる立場だっていうのに。
こんなことでいちいちビビるのはたくさんだよ。ミュージシャンにとってはつらい時代だなぁ。
まぁともかく、今は再販や録音を締め切りまでにやらなくっちゃ。今のところの僕の状況はこんな感じかな。
※アルカトラスのニューアルバムはいつごろに発表されるんですか?※
…2032年あたりかなぁ(笑)
僕たちは3年ほど前からいろいろ準備してきたんだ、バンド活動の陰でね。
アルバムを出すには先立つものがないといけないから、ショーをやったり部屋に集まって演奏したりするものだろ。
だから僕たちはどこであろうとショーを行うつもりだよ。これまでだっていろいろな人と演奏してきたし。
僕のところのギタリストはギター講師みたいなものだよ。
とりあえず、ちょくちょくショーを行って観客を不安にさせないようにすれば新しい創作にも挑戦できるから…
たとえ何も持っていなくても、余裕さえあればね。
音楽に関することも色々と変わったものだよ。音楽は人生においてそれほど重要なものではない。
家族やお金を持つこと、特にお金を手に入れることは肝心だよね。音楽は素敵な傍観者で、素敵な趣味だよ。
でも君がもし20歳くらいで、バンドをやっていてお金が手に入る立場にあるなら、現実味がない言い分かもね。
たくさんお金を儲けて、本当なら貯めておいたほうがいいんだけど…たいてい遣っちゃう。
自分のためはもちろん、マネージャーやエージェントにも遣わなくちゃならないものだった。
でも昔と今とはだいぶ違ってきてるね。60年代みたいにはいかなくなってる。
懐かしの1960年代は、音楽にとって最高の時期だったな。
ロンドンに住んでいたころはそれはエキサイティングで、いつも何かしら新しいことが待ち受けてた。
今の音楽はベルトコンベアで流れてくるようになっただろ。ソウルやブラック・ミュージシャンや、特にアイドルは
みんな平板な印象になっちゃったな。同じような映像で、魂だとかグッとくるところがないよ。
どんなに高い歌声が出ようと、どんなに歌詞を詰め込もうと、全然ピンとこないな。
AとかNとかDだとか、色んな単語を出して変化もつけてるし、凄い技術を持ってる、けど魂がないんだ。
現実味がないんだよ、僕がみんなに歌がうまいと言われてもねぇ。
※スタジオでの仕事や町での暮らしの中で、アーティストがお隣かもしれないという状況もあるでしょうが、
積極的に会おうとしたことはないんですね。何か理由があるんですか。※
…変かもしれないけど、自分自身の時間を持つのはいいことなんだ。
子供を外に遊びに行かせたりとか、僕の10歳になる娘なんかは『パパ、エッグサンドを作ってもいい』とか
『オレンジジュースが飲みたいなぁ』とか言ってくるよ。あと犬の散歩なんかもあるし。
家で何をしようかと考えるのは現実問題にかかってくるんだよね。
明日は何をしようかと言えるのは素敵なことだと思うよ。
そういえば、そろそろ時間なんじゃないのかな。
『あと4時間で行かなくちゃならない、となるとどれだけの損失が出て…』とか言わないのはいいことだよ。
でもそれなら家で生活を送ってもいいアイディアが出るんじゃない。
みんながやるみたいに、Eメールで意見を交換したりね。これは僕のアドだよ、じゃあまたね(笑)
※では、フィンランドや日本でしてきたようにこれからもライヴを行わなくてはなりませんね。※
…そうだねぇ。
※今日は見ず知らずの私たちのインタビューを受けてくださってありがとうございました。※
…元気でね。インタビュアーっていうのは何かを知るために健康でいなくちゃならないものだし。
調査やらなんやら、色々やることがあるよね。僕のバンドだけじゃなくてエージェントやプロモーターとかもいるし。
たいていそういうものだから、がんばって。