ジャン無畏公(sans peur/サン・プール)


1371~1419
(1404~1419…ブルゴーニュ公およびブルグント伯・
 フランドル伯・アルトワ伯・ヌヴェール伯・シャロレ伯)




初代ブルゴーニュ公フィリップ豪胆公の長男として生まれ、次期公爵として育てられる。
対トルコ戦で捨て身の攻撃(そのあと捕まった)をかけたことから、『おそれしらず』の異名を戴く。
フィリップ豪胆公が片足を突っ込んでいたオルレアン家との諍いは、このジャン無畏公の代に
ピークに達する。お前父親の遺言聞いてなかったのかよ!という突っ込みが浮かんできます。
…いや、聞いていたけども結局喧嘩せざるをえない状況になったわけ。
大いなる運命に突き動かされ、彼の代になってブルゴーニュ派とアルマニャック派の果し合いの火蓋が
切って落とされる!!!

ブルゴーニュ家の代替わりを迎えても、相変わらず発狂しつづけるフランス国王シャルル6世。
ジャン無畏公にとって、この哀れな狂った王は従兄弟にあたる。

( `・ω・)∩『じゃあ、シャルル6世陛下の補佐は死んだ父上に代わってオレがやってやんよ』
だが摂政に立候補しかけたジャン無畏公に、オルレアン公ルイがストップを掛けてきた。

(#`・ω・)(なんだこの野郎。てめーふざけてんのか?
       父上があの基地外国王の摂政をしてやったのを忘れたのか?
       こいつ、父上が生きてたときからこっちの邪魔しやがって…)

『おそれしらず』と呼ばれるジャンの闘争心に火が着いた瞬間であった。

 ∧_∧オルレアン公?ボッコボコにしてやんよ
 ( ・ω・)=つ≡つ
 (っ ≡つ=つ
  /   ) ババババ
 ( / ̄∪          (※ボッコス松本のAAはイメージです)

兵は神速を尊ぶとばかりにオルレアン公ルイを殺して、狂った従兄弟の摂政の座に収まったジャン無畏公。
遊び人体質のオルレアン公ルイはパリでも嫌われ者だったらしく、諸手を挙げてジャンを歓迎するパリ市民。
しかし彼の栄光も長くは続かなかった…
そう、オルレアン公のシンパ(アルマニャック派)が王太子シャルルと手を結んだのだ。
後に『勝利王』と呼び習わされる、どっちかっていうとジャンヌ・ダルクの影に隠れがちな奴。
頭領ルイを失ったアルマニャック派は、なんと王太子を担いで反ブルゴーニュを叫びだしたのだった。

(;`・ω・)『アルマニャックの残党どもめ、王太子を担ぎ出すなんて反則だろ!
       こりゃちょっとマズイな。どうにかして言い訳しなくちゃ…』

ジャン無畏公がそんなことを考えていたある日のこと、王太子から『話し合い希望』の手紙が届いた。

( `・ω・)『丁度よかった、オレも仲直りしようと思ってたトコだったんだよねー』


などと小学生並みの言い訳を考えつつ、王太子の居城に向かうジャン無畏公。
そして居城に繋がるモントローの橋を渡っていた彼に、背後からなにやら
不穏な空気が漂ってきた。

( `・ω・)『なんか背後がぞくぞくするが、気のせいだろう』

『今だ!ルイ・ドルレアン閣下の仇ぃぃいいい!』

( ;`゚ω゚)『うわ~~~~~~っ!?』

どこから現れたのか、あのアルマニャック派の刺客たちが次々に現れてジャン無畏公を組み伏せた。
『これなんてドッキリ?』…そう突っ込む暇すら与えられず、彼は刺客の斧で頭をカチ割られてしまい
ましたとさ。 (フィリップ善良公に続く)