シャルル突進公(le Téméraire/ル・テメレール)


1433~1477
(1467~1477……ブルゴーニュ公およびフリースラント公・ルクセンブルク公・ブラバント公・
リンブルク公・ロティエール公・ヘルレ公・ブルグント伯・フランドル伯・アルトワ伯・シャロレ伯・
ナミュール伯・ホラント伯・エノー伯・ゼーラント伯・マーコン伯・ブーローニュ伯・ズートフェン伯・
オクセール伯・ポンテュー伯・ヴェルマンドア伯)

※フィリップ善良公のあたりから領地が増えすぎて収集がつかなくなってるけど、シャルルの死後にフランスとか
 スイスとか神聖ローマ帝国に領地と宝物を持ってかれるから特に覚えなくても大丈夫だよ!


さて、ブルゴーニュ公代理として公国を支配することになったシャルル。
シャルルはまず、軍を動かすことにした。目標はリエージュの姉妹都市であるディナン
原因は(とあるサイトによると)シャルルがこのディナン市を侮辱したことに始まるらしい。
その侮辱に対してディナン市民は、ブルゴーニュ公国を嘲るようなそぶりを見せる。
そこでキレたシャルルがディナンに軍を送り込み、都市を壊滅し尽したということだそうだ。
この戦いを機にしてシャルルは『暁のデストロイヤー』と呼ばれるようになったというのは嘘です。

この『ブルゴーニュ公代理』の行動を、フランス王ルイ11世は非常に警戒していた。
ルイ11世はアラス条約に則って、ブルゴーニュ公国をなんとしても支配下に治めたかった。
でもシャルルがブルゴーニュ公代理を引き受けてからというもの、公国は反フランス路線を
ますます強めるようになっていった。さて、どうするべきか?

ここで彼は公国内の都市を味方につけて、内部から突き崩していこうという作戦に出る。
公国内でもディナンやリエージュはかなりフランス寄りの都市である。
ルイ11世としてはこの町々を足がかりにして公国を混乱させ、弱体化させたいわけです。
だから彼はしばしばこういった都市の援助をして、しかも叛乱を焚きつけていたのだった。
勿論、上記のディナンの叛乱も煽っていただろうと思われる。

モン・ル・エリーの戦いをきっかけにフランスとブルゴーニュの間に消し難い火花が散り始めた丁度
その時、公国を半世紀に渡って統治してきた偉大な『西の大公』ブルゴーニュ公フィリップが死んだ。
ここでようやくシャロレ伯シャルルが正式なブルゴーニュ公として公国の統治を始めることになる。
シャルルはさっそく公国内の都市に顔見世のご挨拶に廻り、その後に公国内のフランス派貴族の排除に
取り掛かった。この辺りですでにシャルルのフランスに対する嫌悪感のもの凄さ・根深さがわかると思う。

邪魔なフランス派貴族を排除し、ブルゴーニュ公シャルルが最終的に行った事。
それはかつての同盟国イングランドとの結びつきを強めることだった。
一番手っ取り早い方法は結婚である。
シャロレ伯時代に大変仲むつまじかった愛妻イザベル・ド・ブルボンは一人娘のマリーを残して身罷っていた。

ここでシャルルは後妻としてイングランド王女マーガレットを娶ることにする。
イングランド王女マーガレット・オブ・ヨークは王の妹である。
ブルゴーニュ公はイングランド王の義弟ということになり、これとともにイングランドとブルゴーニュ間の同盟
もよりいっそう現実的なものとなっていった。これはフランス王にとってかなりマズイ展開である。

(゚Д゚,,|||)『イングランドとブルゴーニュの同盟だとぉ!?このままじゃ百年戦争時代に逆戻りじゃねーか!冗談じゃないッ!』

フランス王はこのブルゴーニュ公の離反に対して牽制を行うことにした。
そんでもっていきなりフランス王から会談を持ちかけられたブルゴーニュ公シャルル。
半ば疑りつつ、シャルルはしぶしぶ会談予定地ペロンヌへと赴くのであった。

(゚Д゚,,)『アイツは単純なヤツだから、わたしの話術で簡単に丸めこめるはずだ』

そう楽観して会談を進めていたルイ11世。
だが事態は急変する。
前々から煽っていた公国内の都市・リエージュがブルゴーニュ公に対する叛乱を起こし始めたのである。
今しがたブルゴーニュ公と会談しようというときに、この事件はタイミングが悪すぎた。

(;,,゚д゚)『あ、シャルル君。これは色々と深いわけがあってだね…』

ルイ11世が引きつった笑顔でシャルルに言い訳しようとしたが、時すでに遅し。
血の気の多いシャルルはルイ11世の話に耳も貸さず、顔を真っ赤にして怒りを大爆発させたのだった!
(…こんな仕打ちをされたら、どんなにお人よしでも怒るだろう。キレやすいシャルルなら尚更。)

m9(゚∀゚#)『この薄気味悪い蜘蛛王をひっとらえろーっ!』

ルイ11世はたちまち塔に閉じ込められてしまった。
はるか昔の西フランク王と我が運命を照らし合わせて絶望に怯えるルイ11世。

(:::∀::::#)『あの野郎!口先でうまい事言ってオレを騙しやがって!』

そして天井知らずのシャルルの怒り。
このままでは本当にルイ11世を殺しかねない。
シャルルの召使いフィリップ・ド・コミーヌがどうにかこうにかシャルルを宥めに努める。
何日かしてなんとかシャルルの怒りが静まると、コミーヌはルイ11世との会談のお膳立てをし始めた。
努めて平静を装おうとしていたシャルル。だがしかし、コミーヌ曰く

『大公(シャルル)は王(ルイ)の前にやってこられたが、そのお声は震えていた。
 それほどまで、感情は高ぶり、すぐにもお怒りが出そうだったのだ。
 外向きにはできるだけお顔色にあらわすまいとしておられたが、
 その仕ぐさも、お言葉も、とげとげしかった』

…らしい。バレバレでっせー、シャルルさん。

シャルルの怒りの地雷を踏み抜かないように、ハラハラしながら会談を進めるルイ11世。
『ルイ11世は、問いかけられたどの質問にも「よろしいとお答えになった」。』 (byコミーヌ)
結果として会談で決まった条項はブルゴーニュ公シャルルにかなり譲歩したものとなった。
そして最後に、シャルルはルイにこう言った。

(゚∀゚#)『ブルゴーニュの聖アンドレ十字をつけて、リエージュ討伐に同行するように!』

ナンテコッタイ/(^o^)\(ルイ11世の心境)

籠の鳥となったフランス王に、『よろしい』と言う以外に何ができただろうか。
こうして嫌々ながらもルイ11世は、自分が煽った叛乱を自ら討伐しなくちゃいけなくなってしまったのだった。
この討伐行でリエージュの町は廃墟と化したという…



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