(゚」゚)「兄が突然亡くなったので~、これからのイングランドはボクに任せてもらおう~」
( ´_ゝ`)「ちょっと待った、甥御どの。貴方のことだからどうせまた出兵なさる気でしょう」
(゚」゚)「おやボーフォート枢機卿、もちろんですとも~。
今こそあのクソ忌々しいブルゴーニュ公の喉もとに剣を突きつける好機じゃないですか~」
(;´_ゝ`)「まったく、貴方は好戦的に過ぎますな!
金庫の中はカラッポです。今は出兵なんてしてる場合じゃなく、むしろ一旦引いて
フランス王国との和平を試みるときでしょうが」
(#゚」゚)「そう言うボーフォート枢機卿は臆病者ですな…イングランド領内のフランスでは、
在仏イギリス人とフランドル商人がブルゴーニュ公を相手取って争う姿勢です~。
これに協力してブルゴーニュ公を叩きのめし、しかる後に自称フランス国王を
やっつけるのが得策だと思いますよ~?
金庫の中がカラッポだなど、貴方が口から出まかせを仰っているのでは~?」
(;´_ゝ`)「嘘だと思うなら見てきなさい、貴方の戦力源になる金はもう1ペニーもござらん!」
ブルゴーニュ公の援助なき今、生前にベドフォード公が危惧していたとおりにイングランドの財政は
悪化の一途をたどり、もはや破産寸前でした。にもかかわらずグロースター公ハンフリーは無理やりドーヴァー海峡を
渡ってカレーに上陸、守備隊長として対ブルゴーニュ戦線を張ります。
(カレーは16世紀まで大陸におけるイングランド領としての立場を保持しました)
(;´_ゝ`)「全く!甥御どのは機を待つことを知らんようだ…」
対するヘンリー・ボーフォート枢機卿はブルゴーニュ公と和平を試みることにします。
1436年にパリが解放され、イングランド側の状況はますます悪くなっていました。
日増しに悪くなる状況をなんとかしようとして再びブルゴーニュ公の手を借りようということに。
(`・ω・´#)「アングレーのじじい!ハンフリーをなんとかしてこい!
フランドル商人とグルになってこっちの領内で暴れられて、ほとほと困ってるんだ」
( ´_ゝ`)「モン・ディユ!ハンフリーに関しては私でもなんともしがたく…」
(`・ω・´#)「まったく役に立たない坊主だな!」
( ´_ゝ`)「この通り、頭脳労働のほうが性に合っておりますので」
(`・ω・´)「で、用件は何だ?」
( ´_ゝ`)「わがイングランドとブルゴーニュ間での通商正常化です。協定を結びましょう。
ハンフリーは貴方になんとか止めていただくということで」
(`・ω・´;)「ハンフリーはこっち任せなのか…まぁいい。協定を結んで国交を回復させるのが先だ」
( ´_ゝ`)「協定の内容はこんな感じでよろしいですかな?」
(`・ω・´)「あ、毛織物はダメな。レースや服飾業で食ってる領民が困るから」
(;´_ゝ`)(その毛織物を売り込みに来たのに!)
こうして1439年にイングランド・ブルゴーニュ間の通商回復協定が結ばれます。
協定は1464年まで続きましたが、英国産の毛織物を輸入することは禁止され続けたのでした。
イングランド国内ではボーフォート枢機卿率いる和平派の風向きがしだいに強くなり、抗戦派はだんだん肩身が狭く
なっていきます。ヘンリー6世が成人に達したというのもあり、グロースター公ハンフリーのイングランド国内における
権力は抗戦派とともに衰えていくことに。
( ´_ゝ`)「ちょっと休戦協定を結んできますよ」
(#゚」゚)「……………」
1444年に晴れてイングランド・フランス間の休戦協定が締結、続く1445年にはイングランド・ホラント間の
通商協定が締結されて経済関係が多少よくなったのでした。
そしてほぼ同じころ、ブルゴーニュ公妃イザベルがカンパを募り始めます。
なんのためかというと、アジャンクールの敗戦でロンドン塔に捕まりっぱなしのオルレアン公シャルルを
フランス王国内に戻すための身代金をフランス諸侯から集めるためです。
カンパは無事成功、オルレアン公シャルルはドーヴァー海峡を渡って故郷の土を踏むことができたのです。
フィリップ善良公はこのオルレアン公救出に際して、詩を書いた書簡を交換しているらしいですよ。
(#゚」゚)「フランスめ、あんなに浮かれ騒ぎおって~!こうなったらこの隙を突いて戦争を再開…」
( ^ω^)「おいすー。グロースター公、ちょっとお邪魔しますお」
(#゚」゚)「何をしに来た!」
( ^ω^)「逮捕しに来ますた」
(# 」 ) ゚ 。
1447年、グロースター公ハンフリーは突然逮捕され投獄。そのショックで卒中を起こして数日後に死去したそうです。
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