フィリップ善良公(le Bon/ル・ボン)・3


フランス王太子ルイがフランス国王ルイ11世として即位する栄光の場、ランス大聖堂。
しかしながらフィリップ善良公はずうずうしくもその場に乗り込み、ルイに王冠をかぶせてやるという
大役を引き受ける(奪い取る?)形になった。流石だフィリップ!面の皮が厚いぞフィリップ!
でもってルイ王太子…いや、国王ルイ11世はフィリップ善良公に今まで居候させてもらっていたこと
に対して感謝の言葉を述べる。

(TДT,,)『わたしは今まで自分を一番哀れな王子だと思っていました。
      小さな頃から苦難を強いられ、乞食同然の生活の中で、夫婦ともども
      宿無しの無一文だったわたしたちを5年も養ってくださいましたおじ上の、
      お恵みとお慈悲がなかったらば…』
  

この台詞はフランス国王ルイ11世が戴冠式でマジで言ったことらしい。
これを聞いたフィリップは喜んでいたらしい。おそらく満面の笑みだったろう。

( ´‐ω‐`)(うむ、そうだろうそうだろう。
      私がいなければきみの今の地位はなかったかもしれん。感謝するがよい)

…とフィリップ善良公は心の中で思っていたかもしれない。
流石だフィリップ!態度でかいぞフィリップ!

このランスの戴冠式でのフィリップ善良公の浮かれっぷりというのがまた奮っていた。
豪華な衣装を着た4000人の貴族やら召使いやらその他諸々の人々を従えて、フィリップ本人はというと
金銀細工の施された馬具をつけた白馬に乗り、黒いベルベットの衣を羽織ったその上にルビーがギンギラギン
にさりげなく煌く羽根飾りのついた帽子といういでたち。
もちろん(多分に不本意ではあろうが)シャロレ伯も父親にお供している。
服は真紅のベルベットですよ。真っ赤ですよ。真っ赤。ポストじゃあるまいし。

(#゚∀゚)『誰がポストだって!?』

いや、何でもない。

ともかく、このブルゴーニュ公とその供連れの方々のいでたちは国王なんかメじゃないくらいに豪華だったという。
民衆が『ブルゴーニュ公のほうがよっぽど王様らしいや!』と言ったほどだとか。
流石だフィリップ!ギラギラだぞフィリップ!一体何様のつもりだフィリップ!

( ´・ω・`)『一宿一飯の恩という言葉もあるが、5年も養ってやったのだ。
      ルイ王太子…いや、ルイ王もブルゴーニュ公国に刃向かうなぞ考えまい』

ルイを5年間居候させてやり王冠をかぶせてやったフィリップであったが、そのアテは見事に外れた。
ルイ11世は養ってもらった恩をかなぐり捨てて、いきなりブルゴーニュ公を始めとする周辺の有力貴族を
併呑しようとし始めた。アテが外れて残念だったねフィリップ!でもルイってそういう奴なんだよ!
フランス国王のこの強気な行動に、ブルゴーニュ公国内のフランス派の方々も賛同し始めた。
ルイ11世に唆された公国内のフランス派の方々の言う事を聞いてしまったフィリップは、
なんとあのアラス条約で獲得していた領土を国王に売ってしまった。

(#゚∀゚)『おいおいオヤジ、てめえついにボケたか!?なに敵に塩を送ってんだよヴォケ!!』

シャロレ伯は怒り狂ってフィリップにがなり立てる。

Σ(´・ω・`; )『しまった、あの腹黒い甥の口車に乗せられてしまったのか…』

反省して思いなおしたフィリップは、反フランス国王派で団結した貴族たちをシャロレ伯に率いさせることにした。
ということでフランス憎しのシャロレ伯は、ブルボン侯やルイ11世の弟・ベリー公シャルルと手を組んだうえ
『公益同盟』を造り上げ、フランス国王ルイ11世に立ち向かうことになったのだった。

父親からのGOサインも受け、フランス国内の反国王派たちと手を組んで公益同盟を組織したシャルル。
『公益』というのは要するに『フランス王調子こきすぎ。独裁反対!オレたちにも権利をよこしやがれ』(意訳)
という『(貴族階級における)公共の利益』。
ルイ11世の取り締まりがあんまり厳しいんでこういったスローガンを掲げて対抗することになったのだ。

この不穏な動きは勿論ルイ11世の知るところとなり、すぐさま応戦の準備を整えた。
しかしこの同盟、思ったよりも規模が大きかった。
ブルゴーニュ、ベリー、ブルターニュ、ブルボンetc…
王族の血を引く大貴族たち、本当なら王様の一番信頼できるであろう身内たちが叛乱を起こしているのだ。
これは立派なフランスお家騒動といえる。身内を大事にしなかったんだろうか。正直どうかと思う。
国王イヤッッホォォォオオォオウ!のあまり調子に乗りすぎたな、この人。

さて、叛乱軍の大部分を率いるブルゴーニュの後継者・シャロレ伯シャルル。その数1万2千。
流石ブルゴーニュ!流石リッチ!こんなにたくさんの軍隊をポンと出せるんだから凄い!

そしてルイ11世の一番下の弟・ベリー公シャルル。こいつはぶっちゃけ王位が欲しいのだ。
兄ちゃんが王様になってからというものあんまりいい扱いを受けてないということで。
このままじゃ飼い殺しにされちまう。ならいっそのこと…ということで。
いわゆる反抗期ってやつだ。
それからブルターニュ公フランソワ。叛乱に加担するくらいだから、フランス王に対する怒りは心頭だ。
この二人がそれぞれ5千の兵を率いていた。

このブルゴーニュ・ブルターニュ・ベリー連合軍が国王軍とぶつかるわけだ。
その対決が行われた場所がモン・ル・エリーだったため、この戦いは歴史上『モン・ル・エリーの戦い』
と呼び習わされている。 (現代ではモン・ル・エリーという地名は訛ってモンテリーと呼ばれているらしい)
なんかモン・ル・エリーっておっしゃれ~な響き…と一瞬思ってしまうが、フランス軍と叛乱連合軍の衝突。
血みどろじゃないはずがない。

国王ルイ11世自ら軍を率いて対決に向かう(うーん、どうもプラグリーの乱が脳裏にちらつく)。
シャロレ伯シャルルは待ってましたとばかりに突撃!突進公の綽名は伊達じゃない!
ルイ11世をあわやというところまで追い詰める!
ここでルイを逃さなければ今後がずいぶん楽になったんじゃないかな。

追い詰めたつもりが深追いしすぎて殺されかけたり、国王軍を完全にぶちのめせなかったり。
ここで再起不能なくらいぶちのめしておけば今後がずいぶん楽に(ry
まあ要するに、シャルルが国王をぶちのめすために頑張ったらルイ11世もそれを頑張って阻止した。
そういうわけなんです。

双方戦い疲れて、もうヘロヘロ。そういうわけで『仲直りしようか…』ということになった。
ここで結ばれた和平条約が、コンフランの和約とサン・モールの和約である。
シャロレ伯の陣地に船でやってきたルイ11世は、シャロレ伯に対してとっても明るく話しかけた。

(゚Д゚,,)『やあ兄弟、わたしの身の安全の保証をしてくれるね?』

どうして兄弟と呼ぶのかというと、ルイ11世の姉カトリーヌがシャロレ伯の最初の妃だったからである。

(*゚∀゚)『勿論ですとも、国王陛下』
(゚Д゚,,)『さて兄弟、きみはフランス王家の血を引く貴族だったな…』
(#゚∀゚)(…ぶっちゃけ、そんな血なんてこの場でかなぐり捨てたいよ…畜生!)

と喉まで出かかった文句を飲み込んで平静を装うシャルル。

(*゚∀゚)『陛下、それがどうかしたんですか?』
(゚Д゚,,)『ああ、以前わたしの使いがきみにちょっかいを出したとき、きみはこう言っただろう?』
(#゚∀゚)「おまえは自分で言った事を1年も経たぬうちに後悔するだろうよ!」
(‐Д‐,,)『…とな。まったくその通りになりおった』

冗談めかして嘆息するルイ11世。そう、シャロレ伯の切った啖呵が実現しちゃったのだ。
なるほど、然り然り。この不思議な符合にお堅いシャロレ伯もワハハと笑った。
とても命がけで戦っていた者同士と思えない和やかな会話である。
(水面下でお互いにどう思ってるかはわかんないけど)

さて、戦いの後始末なのだが…
ルイ11世はまず、反抗期のどうしようもない弟・ベリー公シャルルに領地を増やしてあげた。
シャロレ伯シャルルには一旦ブルゴーニュ公から買い戻したソンム川流域の領土を返還、ブーローニュ伯領
とギーヌ伯領を増やしてあげた。この予想以上の収穫にシャルルはとても喜んだ。
ついでにルイ11世はシャルルに『娘のアンヌと再婚なんてどう?』という話なども持ちかけたようだが、
(モン・ル・エリーの戦いのさなかにシャロレ伯妃イザベル・ド・ブルボンが病死していた)
これについては色々問題が発生して(シャルルがアンヌの持参金がわりにシャンパーニュ伯領を要求したせいで
ルイが難色を示したらしい)反故になった。

(*゚∀゚)『やったぜオヤジ!オレってばオヤジが取られた土地をさらに増やして
     腹黒フランス王から取り戻しちゃったもんね♪』

もう鼻高々である。天狗である。誰かこのウソップみたいな鼻をへし折ってやれ!
しかしながら調子に乗って鼻高々のシャロレ伯がこのモン・ル・エリーの戦いで大活躍したというのは事実。
このとき病気がちになっていたフィリップ善良公は、この抜けたところはあるが頼もしい男に育った息子に
ブルゴーニュ公としての権限をあげることにした。表面上は摂政、事実上のブルゴーニュ公である。



(フィリップ善良公の綽名の意味が気になる?)

(シャルル突進公に続く)